器用貧乏を解体してみよう
器用貧乏=「器用でなんでもこなすことができるがゆえに、
どれも中途半端になって大成しないこと」という意味の言葉
やってみたら、それなりに出来る。
なんでもちょっとやってみたら、意外と簡単に出来る。
そこそこ楽しめるくらいまで出来る。
周りから「上手!」って言ってもらえるくらいには出来る。
でも極められない。
出来る人に比べたら、全然出来ない。
全部中途半端。
でも苦労したり、辛い思いをしてまではやりたくない。
出来るから失敗はしないけど、成功もしてない。
出来ない人よりは確実に出来てるのに
なんで練習したり、嫌な思いしてまでやらなきゃいけないの。
てか、ちょっとやってみたら出来るじゃん。
やったら出来るもん。
練習の段階から出来たよ?
あーーーーー!!!!!
酷い!イタイ!ウザい!最悪!
見下し、マウント、優越感、プライドが鬼のように高い
恥ずかしい!
こんな奴と友達でいたいと思わないわ!
それなのに、
中途半端で器用貧乏で何も極められない自分が嫌い。。。
……えっ?!?!ビックリするわ!!!!!
あんなに自信満々でプライド高い奴が、自分のこと嫌い???!
もう歪みが酷い。拗らせが酷い。矛盾しまくり。
自己肯定感=「自分は出来る」だと思っていたから、
「ある程度出来る自分」の視点から見た時は「自己肯定感高い」
でも、
「極められない自分」の視点から見た時は「自己肯定感低い」
という
謎状態で自分を掴めない、自分の土台がグラグラで悩む・迷う。
結局総じて自己肯定感は低い!!!
→「ちょっとやれば出来る」というところでなんとか自分に自信を持たせている
=自信がない
→極められない自分=ダメ
~~~~自己分析・自己解体していこう~~~~
Q1.どうして極められないの?
A1-1. もし挑戦して失敗したら、失敗した烙印を押されると思っている
→失敗するのがダメという価値観=白黒思考?
A1-2. 極めようと挑戦して失敗するのが怖い、出来なかった時に傷付くのが怖い、
出来ない自分を突きつけられるのが怖い、辛い思いをしたくない
→なんで怖いの?
→ダメな自分、出来ない自分を肯定出来ていないから、受け入れられていないから
認められていないから、許せていないから
Q2.そもそもどうして極めたいの?
A2-1.「すごい」と思われたいから=承認欲求、他者からの称賛
A2-2. 出来るようになった自分を確保できるから、自信になるから
Q3.中途半端な自分が嫌いなのはなぜ?
A3.中途半端が許せないから
→なぜ許せないの?
→成功しか認められないから、成功以外は全部やっていないも同然だと思っているから
~~~~~~~~~~~~
すごい。めちゃめちゃ自分に厳しい。
自分では自分のこと「自分に甘い」と思っていたのに。
認知の歪みが激しい。
自分に自信があると思っていたけど、実は全然なかったんだ。
抉りまくってる。
抉りまくって、自分の本当の部分を掘り起こして、
そういう自分がいたんだなと発見していく。
まじまじと見つめる。
死ぬほどイタイけど。
のたうち回るくらい恥ずかしいし、頭掻きむしるほど辛いし、
身体中ゾワゾワするほど苦しいし、抉られた胸はめちゃめちゃイタイけど。
見つめ直していく。
そういう自分がいることを知っていく。
そうすると、辛いけど、痛いけど、
ある時、諦めがつく。
多分、それが受け入れられたってことだと思う。
そうして、「それでもいい」と思ってみる。
「そういう自分でも大丈夫」と思ってみる。
そうすると、安心する。
自分で自分を安心させてあげる。
自分の味方になってあげる。
逃げずに向き合った自分だから、この自分には味方してあげて大丈夫。
…たぶん。笑
どこからが「逃げ」で
どこからが「受入れる」なのかが
まだちょっと曖昧だな。
でも、ここまできたら、また次の段階だ。
あの、価値観たちと今度は向き合っていく。
でもちょっとさすがにしんどいから、
それはまた今度にしよう。